詩のために恋したのか 恋ゆえに詩が生まれたのか? 立原道造はあまりに純粋で、そしてそれは最後の恋人とされる水戸部アサイ嬢には残酷に過ぎたものでなかったかと思われてならない。 彼の詩は主に軽井沢で知った幾人かの少女との短い交流を通して美しく結晶していくが、 果たして彼は少女たちの内面や生活という、生身の存在にどれだけの関心を示したことだろうか? みすず書房から出版された「鮎の歌」を通読すると一層その疑念は深まる。 女優として美しかった北麗子(今井春枝)、ふくよかな人間味と意志の強さを感じさせる水戸部アサイ、そしてエリーザベトと呼ばれた横田姉妹、初恋の少女金田久子。 「おきゃんで、ひとりでいるときは思い切り寂しくなっていられる」「黄色を好む」弁護士の娘、関鮎子。 彼女たちと生活をともにしたいと真に立原が願ったとは到底思えない。 彼にとって彼女たちは自分の完成された芸術作品のための、画家にとってのモデルのような位置づけであったのではないかと推察される。理想の「アンリエット」という架空の存在へ、彼女たちは混在され、混ぜ合わされ、合成されてゆく。 ただ最後に知ったアサイ嬢との関係はこれまでの彼の価値観、少女というモチーフとの距離感を崩しかねないリスクを孕んでいたと考える。 結婚。家庭。アサイ嬢にはそんな現実的な生活を伴う関係が似合う。鋭敏な立原がそれを感じ取ったとき、それに立原は耐え切れたであろうか。否。と信じる。 彼の日記にはアサイ嬢への「愛」がたびたび登場し書簡にも表現され、詩においても「願ったものはひとつの愛(略)それらはすべてここにある」と表現する。 しかし彼の書簡などに顕れた「愛」は重度の肺結核ゆえの高熱、病が走らせる焦りや憧れ、そういう環境が強く影響しているとみるのは自然ではなかろうか。 そして「すべてある」と言い切った愛は、彼が彼自身へ納得させようと努力した表現とみるのは意地悪か?否。実際、この後アサイ嬢独りを単身東京に残し、日本列島縦断という、異常としか思えない彼の行動がそれを証明している。 明らかに「ここがすべてだ」という最後にたどり着く安住の地を見出した者が取る行動ではない。 彼にとって絶対的存在であった架空の少女「アンリエット」。 これはほぼ関鮎子嬢であったと信じる。「愛しつくせないほど相互に愛し合っている(略)しかし彼女にはfianceがいる」と最初から別離を予定されていたこの関係は、おそらく、立原の思慕が一方的に強かった片恋に似た状態であったと推測する。 麗子嬢ほど美しくはない。アサイ嬢ほど包容力もない。私が鮎子嬢の写真をみたのは1枚切りだが、彼女は明らかに聡明で、鋭敏で繊細な感受性を持っている、とらえどころのない女性であることがわかる。 彼は無理矢理鮎子嬢と「アンリエット」を分離しようと試み、失敗した。 彼の中で鮎子嬢は永遠の女性となるのであるが、それはあくまで芸術作品を創造する上での対象としての「愛」なのである。
by gbcm
| 2005-08-17 16:35
| 立原道造
|
ファン申請 |
||